糸切餅・莚寿堂のお話

糸切餅のお話

近江昔ばなし

むかしむかし、モンゴル(蒙古)と云う国が有ってのう。
その国は戦争がえろう強くて隣国をどんどん侵略して行き、
海を渡って日本にまでその手を伸ばして来たのじゃ。
博多の国に上陸して来た蒙古軍は、それはもう強くてのう、
日本の武士達はさんざんたるものじゃったそうな。

ところが夜に成ると蒙古軍は全員自分達の船にもどってしまったんじゃよ。
その日の夕刻より降りだした雨は風をともない、
やがてものすごい嵐と成って蒙古の軍船をおそって来たのじゃ。
そして、一夜の内に蒙古軍はほとんど沈んでしまったのじゃよ。
台風によって国難をまぬがれた日本は、
全国の神社仏閣に感謝と平和の祈りを国を上げて祈願したのじゃよ。

ところがじゃ、蒙古の王フビライはまだ日本征服があきらめられず、
又しても海を渡ってせめて来たのじゃよ。
此の時の蒙古軍の船は数干隻と言われ
博多近くの海は敵の船で埋まるほどで、
それはもう見るだけでも恐ろしい程じゃったそうな。

いよいよ明朝は日本に上陸しようと結集して居る蒙古船団に向って
又してもその夜、ものすごい嵐がおそいかかり
数干隻の蒙古船団はつぎつぎと沈んでしまった。
日本の国はこうして二度までも台風に救われたのじゃ。
それで誰が云うともなく此の台風の事を神風と呼んで神仏に感謝したのじゃ。

こうして平和が蘇えったのを喜ぶ里人は、
おだんごを作り蒙古軍の旗印の赤青三筋の線を書き、
此れを弓のつるで切って御神前におそなえしたのじゃよ。
それが今に伝わりお多賀さんの名物糸切餅と成ったのじゃ。

三味線の糸で餅を切るのは刃物を使わず悪霊を断ち切る、
すなわち平和を意味して居るのじゃよ。
又、蒙古軍の戦利品が埋められて居ると云われる船塚が今もお多賀さんの森にあるのじゃ。
それから蒙古来襲の絵と云うのが莚寿堂に陳列されて居るから
向学のため一度見ておくのも良いことじゃて。

莚寿堂のお話